日本コバ・衣掛山
2006.6.11(日)  曇り
集合:大安駅 8:09 総勢 32人
行程:惟嵩親王御陵〜衣掛林道〜磐石の丘〜日本コバ〜永源寺尾根〜御陵駐車場
案内:西内様、保田様、落合様

 
 鈴鹿山地の湖東平野側も、豊潤な山野と渓谷が続いて、霊仙山・雨乞岳・綿向山等の名山秀峰も数多い。中でも永源寺ダム湖に台形山体を映す日本コバを、衣掛林道から磐石の丘という名の展望地の眺望を入れて、山頂台地に新緑若葉を訪ね巡りました。(約6時間)
惟嵩(これたか)親王伝説
 今からおよそ1100年前、この山深い里にやってきた1人の貴族がいました。名を惟喬(これたか)親王といい、文徳天皇の第一皇子で、時の摂政藤原良房の孫惟仁(これひと)親王(清和天皇)との皇位争いに敗れて、愛知川支川の小椋谷(おぐらだに)に隠棲した文化人でした。親王は、この地の人々に“ろくろ”を使って木を挽き、木製のお椀や盆を造る技術を教えたと言われています,これが今に残る木地師(きじし、木地屋)の祖神・惟喬親王伝説です。
クイックすると登山記録となります。.
日本コバ
 「コバとは「憩場」イコイバの転訛であって「好い休み場」というような場合に使用する言葉である。昔二人の木樵が同所に登った時、潤然と展けた高原に出て、あまりにも見晴らしの好いのを讃嘆して「好いコバじゃ日本一のコバじゃ」といったのが以後日本コバなる名称の起因となったと伝えられている。
 現在は、北西が好展望ですが、夏草や所々の松で視野は狭い。
磐石の丘
 磐石の丘は山道歩くような道があって自然に人が集まってそこで景色を眺めながら休憩しながら話しをして心の交流を計る場所として有った様です。磐石の丘は大きい岩があります。磐石の意味は不動です。実際全体が見渡せて素晴らしい景色で清らかな感じの場所です。
 右の写真は衣掛林道(大山谷林道)を登って行くと、右手に出てきます。又下の写真は「磐石の丘」の全景です。





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